2025年2月8日 晴れ

壁の隅に、かすかに残るひび割れ。それは、きっと前の住人がうっかり家具をぶつけた跡だろう。ドアノブには、うっすらと緑がかった錆びが浮かんでいて、手に触れるたび、遠い昔の記憶がそっと呼び起こされる。まるで古い歌を聴いたときのように、私を静かに過去へと導いてくれる。

夕暮れ時、カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の奥へと伸びてゆく。歩き慣れた木の床には、名も知らぬ誰かの足音が今も残っている気がして、そのすべてが、この部屋にしかない香りとなって、私をやさしく包み込んでくれる。

まもなく、私はここを離れなければならない。でも、できることなら、私のことをこの場所が覚えていてくれたらと思う。

人生は、旅の連続だ。数えきれないほどの過客が、この場所を通り過ぎていった。名前すら思い出せない人も多い。でも、この家だけは、すべてを黙って見届けてきた。人は荷物のように入れ替わり、ほんのわずかの時間だけ心を置いていく。

たとえ一日限りの滞在でも、それが一生の記憶になることがある。運び出せるのは家具だけ。でも、この家の壁や床、風の通り道に染み込んだ歴史は、次の住人がまたそっと書き足していくのだろう。どんなに新しかった家も、いずれは古くなる。ただ、それは悲しいことではない。時間とともに、家もまた年輪を重ねていくのだから。

旧居でも、新居でも、心が安らげる場所なら、それでいい。どれだけ年月が経っても、完全には消せない影がそこにはある。けれど、それこそが家の「記憶」なのだと思う。

もし、この壁に意識があったなら——色や形が変わっていくことを、どうか怖がらないでいてほしい。人はつい新しさを追い求め、古いものを手放してしまうけれど、そこに重ねられた歴史や感情までは、そう簡単に消えたりはしない。

ごめんなさい。本当はもっとここにいたかった。でも、どうしても離れなければならなかった。ここを去っていった人たちは、汗や涙、笑い声や沈黙を、この空間に確かに残していった。その記憶は、建物が壊れたとしても、完全には失われることはない。

もしかしたら百年前にも、あるいは前世のどこかで、私はここで誰かと笑い合っていたのかもしれない。そんな想像すらしてしまうほど、この場所には何か深いものがある。

たとえ一日だけの滞在でも、それが人生の大切な一頁になることがある。運び出せるのは物だけ。でも、この家に積み重なった時間の層は、きっとこれからも受け継がれていくだろう。

この場所は、無数の栄光と衰退、出会いと別れを静かに見つめてきた。変わってゆくことを受け入れながら、ゆっくりと歳月を重ねてきた。

旧居でも、新居でも、心がほっとできる場所があれば、それで十分なのだと思う。時が経っても消えない影、その影さえも、この家の一部だ。壁にもし記憶があるのなら、どうか誇りをもって、そのすべてを見届けてほしい。だって、歴史は消えることのない物語なのだから。

そして、過客である私たちは、それぞれの安らぎを求めて、ただ静かに眠れる場所を探し続けているだけなのかもしれない。